Inception - エレベーターでふわり
昔アニメに出てきた、宇宙をゆく補給戦艦がちょうどこんな感じだった。眠りこけた人間たち。彼らは紐でぐるぐる巻き束ねられて、ホテルの廊下の空中に漂う。ホテルは無重力空間になっていて、宙をすーっとゆっくり、無抵抗に進む。やがて彼らは眠ったままエレベーターに格納される。船が宇宙ステーションへ入っていくみたいに。
ふいにシーンは切り替わって、キューブリックの2001年の骨を投げるときみたいなスローモーションで、白いワゴン車が落ちていく。車両が橋下の川へ向かって、真っ逆さまに下降する最中だ。映像はもうほとんど止まっているかのような速度で、ゆっくり進む。ワゴン車の中にはやはり眠りこけた人間が下降する車内で無重力状態に置かれていて、髪の毛が逆さになって揺れている。
ふたつの映像は何度も交互にカットバックされる。このふたつの無重力状態には物語上の関係がある。つまり落ちていくワゴン車で寝ている人間たちがエレベーターの夢を見ているため、実際に落ちていく体験が夢のシーンに反映して、エレベーターのシーンもまた無重力状態になるという話。巧みで、惹きこまれて見た。
これらのシーンは観客の経験を強く呼び覚ますだろう。寝ているときのベッドの状態が夢に反映するようなことはみんな覚えがあるはずだ。すきま風が寒い夜に雪山の夢をみたり、おねしょをした日にお風呂の夢をみたり。それからエレベーターを見るだけで僕らはあのフワっとする体験を思い出すだろう。さすがに車に乗って橋から落ちたことがある人は珍しいかもしれないが、あの超低速のスローモーションを見れば、重力(体験)に異変が起こっていることをたやすく感じられる。これらの映像の断片はどれも観客が経験から感じられるからとてもリアルだ。
それらはいわばどれもありふれた断片だ。しかし映画として編集され、ふたつのシーンは見事に結びついた。無重力の身体的記憶を呼び覚まされた観客は、カットバックのリズムによって、ふたつのシーンの空間と時間がまさに一致した映像体験をする。夢を見ながら下降していく感覚がよく伝わったし実に新鮮な映像体験だった。
インセプション予告編
2010年7月23日(金)より丸の内ピカデリーほか全国ロードショー
[2010米 148分][邦題]インセプション[監督]クリストファー・ノーラン[製作]エマ・トーマス/クリストファー・ノーラン[製作総指揮]クリス・ブリガム/トーマス・タル[脚本]クリストファー・ノーラン[撮影]ウォーリー・フィスター[プロダクションデザイン]ガイ・ヘンドリックス・ディアス[衣装デザイン]ジェフリー・カーランド[編集]リー・スミス[音楽]ハンス・ジマー[出演]レオナルド・ディカプリオ/渡辺謙/ジョセフ・ゴードン=レヴィット/マリオン・コティヤール/エレン・ペイジ/トム・ハーディ/キリアン・マーフィ/トム・ベレンジャー/マイケル・ケイン


ロシアの文学作家と言えば、ドストエフスキーにトルストイ、「外套」を書いたゴーゴリ、映画作家と言えば、エイゼンシュテインにタルコフスキー、どれもこれも生真面目で重苦しく、寒々しいというイメージが付きまとう。このノルシュテイン&ヤールブソワはその伝統的ともいえるロシア作品の体質を受け継いだ、正当派ロシアの作家といえる。オオカミの絵に惹かれてつい足を伸ばした今回の展覧会では、代表作「話の話」、「外套」などの短編アニメーション映画を、おびただしい数の原画と共に鑑賞することができる。
「話の話」はオオカミのこどもを中心としたエピソードに、作家の幼少体験のような場面を詩的に羅列したアニメーションである。繰り返し重なり合う同質テーマのモンタージュにより全体を大きく作り上げているが、特に秀逸なのはルーベンス、レンブラントらのフランドル絵画における「明暗法」を彷彿とさせる演出である。
「光の廊下」という題材では、こどものオオカミが真っ黒な森の中に1点輝く光に憧れる美しいシーンが描かれ、また「真昼」という題材では、地平線に浮かぶ家族の肖像と手前にそびえる真っ暗な丘の影、その向こう側に眩いばかりの真っ白な光の対比を見事に見せてくれる。ここでの光とは得ることの出来ない幸福であり、影とは孤独、寒気、惨め、暗黒であり、すなわちそれは「今」を示す。